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軽業どんと医者どんと神主どん
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| 東頚城郡 |
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昔がありましたと。 松代村の観音様のお祭に、軽業がかかって、村の者が大勢見物に出かけました。 医者どんは、風をひいたのがもとで、死んでしまいました。 三人は連れ立って、冥土の旅へ出かけました。 「エンマ様、私は娑婆(しやぱ)にいる時は、軽業を見せて、娑婆の人聞をよほど喜ばせましたから、私は、極楽へやってもらわれることでしょうの。」 「そうもいかん。お前は、いつ・も下手糞な軽業ぱっかりして見せていたではないか。 そうした上で、娑蓄人間から、やたらに銭ぱっかり沢山取っていたすけ、地獄行きにきまっている。」 その次に、医者どんが言いました。 「エンマ様、私は、娑婆にいる時は、病気をみてやって、娑婆の人間をよほど助けてやりましたすけ、私は極楽へやってもらわれることでしょうの。」 「そうもいかんお前は、いつもロクな手当てもしなかったり、病気もまちがったりして、 死んだ人間もあるねか。そしてからに、娑婆の人間から、やたらに銭ばつかり取っていたすけ、地獄行きにきまっている。」おしまいに神主どんか言いました。 「エンマ様、私は、娑婆にいる時は、神様の祭りをしたり、神様と話したりして、娑婆(しゃば)の人間を よほど助けてやりましたすけ、私は、極楽へやってもらわれることでしょうの。」 「そうもいかん。お前は、護符をなめさせるだの、はらい給え清め給えだの、厄病神をおっ払うだのと,嘘ばっかり言うて人をだましていたねか。そうしてからに、娑婆の人間から、やたらに銭ばっかり、どうど取っていたすけ、地獄行きにきまっている。」 それで三人とも、エンマ様から、地獄行いを申し渡されて、また三人連れで、地獄へ出かけました。地獄に着くと、もうエンマ様からの知らせが屈いていて、この三人を地獄の大釜の中に放り込んでしまうことになっていました。 大釜の中には、あついお湯が、ぐわらん、ぐわらんと煮えくり返つていました。 おっかなげな鬼がいて、「さあ、お前ら三人ととも、この大釜で煮てしもうぞ」と言いました。 おれにまかしておけと」三人に言ってむにゃむにゃととなえ言を言って、すぐに火戻し法をつかいました。 火戻しの法です言い、火戻し法ですから三人は大釜の中にいれられても熱いお湯が、 たちまち、ぬるくなりました。 ![]() うん、これはこれは、ちょうどよい湯加減だ。だんだんぬるくなるから、もっと火をたけ、もっと火をたけ」と,三人はいい気なって、大いばりで釜の中にはいっていまいした。 いくら、火をたいても平気で、長湯をしていました。 そんげにして、いつまでもいられたら、後がつっかいて困るが」ど言うけれど、お湯がぬるくてしょうがないから、もつと火をたけ、もつと火をたけ、とたかしている中に、地獄のたきものが無くなってしまいました。 そこで三人は、つるぎの山へ、はだしで追いやられることになりました。 すると、今度は軽業どんが、「よい法がある、心配はいらん、おれにまかしておけ」と言って、右の肩には神主どんを、ひょいと乗せ、左の肩には医者どんを、ひょいと乗せて、「ヨイ、ヨイ、ヨイヤサノサ、右の肩には、神主どん、左の肩には、医者どん、コラサ、コラサ、コラサノサ」と、面白く歌い踊りながら、そのつるぎの山を、ひょいひょいと歩き出しました。 軽業師のお手のものの芸当ですから、つるぎの上を歩くこと位は平気です。三人は、山の上に着いて、あの景色が見事だの、ここの景色がきれいだのと、あたりの景色を、眺めまわしていました。 これには・鬼どもも、また.困ってしまって、エンマ様に申し上げましたら、「よし、怪しからん奴どもだ、おれの前へすぐに連れてこい、おれが、じきじきに始末してやる。」三人は、エンマ様の前に、引きずり出されました。 その時、医者どんが、エンマ様の口の中へ、ぴょいととび込みました。 やれやれ、丸飲みにしたが、と思うている中に、今度ぱ、軽業どんが、エンマ様の口の中へ、ぴょいととぴ込んでしまいました。がりっとかもうとしたら、つるつると腹の中へはいってしまいました。 やれやれ、こいつも丸飲みしたが、と思うている中に、また、神主どんが、ぴょいととび込んで、つるつると腹の中へ、入ってしまいました。 腹の中で、また三人が一所になりました。「さてさて、今度という今度こそは困ったことになったわい」と三人は思いました。 すると、医者どんが、「今まではお前方のおかげで助かったが、今度は、おれがお前方を功けるすけ、心配はいらんが」と言いました。 そして、須川のダラスケ(須川の百草園という薬)を取ら出して、エンマ様の腹の中に、べたんべたんとはりつけました。するとたちまち、エンマ様の腹が痛み出して、どうしようもないので、便所へとんで行きました。便所でウーンと一つ、りきんだら、尻の穴から、先ず軽業どんが、ひょいととび出しました。けれど毛腹の中では、べたんべたんとはりつけていますので、ますます痛くなるぱかりです。 もう一つ、ウーンと、りきんだら、今度は神主どんが、ひょいととび出しました。 エンマ様は、「お前たちのようなもんは、もはや、地獄におくことはならん、もとの娑婆へさっさと帰れ。軽業は軽業になれ、医者は医者になれ、神主は神主になれ」と言って、三人は、もとの娑婆へ戻されました。 |
| 東頸城郡(東頚城郡、ひがしくびきぐん)は、新潟県にかつて存在した郡で。人口19,638 人、 面積430.64 km²(2003年現在)。 1878年(明治11年)に制定された郡区町村編制法によって、 旧頸城郡を東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡の3つに分割したことにより発足。 発足時の郡域は、現在の上越市の東部(安塚区・浦川原区・大島区・牧区)および十日町市の 西部に当たる。 郡役所は安塚村(現上越市)に置かれた。 2005年1月1日に安塚町、浦川原村、大島村、 牧村の4町村が上越市に編入合併、さらに同年4月1日、残る松代町と松之山町の2町が十日町市と 合併したため、同日東頚城郡消滅。 民話に出てくる松代の観音祭は、今の時代も続いています。 |